ZENPEっ子の子育てQ&A。先輩ママパパの体験記!CASE.1-A.Tさんの場合-
ENPEっ子の子育てQ&A。先輩ママパパの体験記!CASE.1-A.Tさんの場合-
子育てには、これが「正解」「間違い」という決まった形はありません。だからこそ、それぞれの家庭で子どもと向き合いながら試行錯誤し、自分たちらしい道を見つけていく過程があります。この記事も、そんな一つの例としてお読みいただければ幸いです。同じような状況にあるご家族にとって、ヒントになる部分があれば嬉しいです。
※医師監修ではなく、あくまでも個人の経験談としてお捉えください。
プロフィール
人物

A.Tさん
症状
- 30代の息子さんが前庭水管拡大症
インタビュー
1.ZENPEっ子へのサポート術
お子さんが前庭水管拡大症と診断されたとき、どんなお気持ちでしたか?その気持ちは時間を経てどう変化していきましたか?
まずはどんな病気なのか全く分からず、
ただ聴力の変動性があり少しずつ低下していく事が多いと知り目の前が真っ暗になりました。
情報が少ない中前庭水管拡大症の病気について詳しく調べましたが、症例が少なく個人差もある為、息子がどの様な経過を辿るか分かりませんでしたので多くの不安をかかえながら子育てをしていました。
ただ今自分に出来ることは何かと言う事を常に考えながら日々を過ごしていたように思います。
ただ何かのきっかけで聴力が落ちる度には、絶望感と悲しみに苛まれていました。
そんな中息子の明るさが何より救いになっていました。
この先聴力が無くなっても不幸では決してないと気持ちを切り替えるようにしていきました。
色々な場面で不自由があったはずなのですが、中、高校、大学生活で不自由だと愚痴られた事が無かったため、私の気持ちも少しずつ落ち着いていったように思います。
お子さんの聴力や発作の状態が、幼少期から現在までにどのように変化してきたかを教えてください。
難聴が診断された時は両耳50dBでしたが、少しづつ聴力が落ちてきて30代の現在は右50 左110dBくらいです。
そのため24歳の頃に、左を人工内耳にしました。
10代の頃は良く聴力変動や眩暈や耳鳴りも出ていましたが、成人に近づいた頃から落ち着いてきています。
日常生活で、お子さんが困っていると感じた場面はありますか?
雑音や他の方の声が大きいと、聞きたい会話の詳細が聞こえないこと。
家庭で取り入れた工夫や習慣があれば教えてくだい
できるだけ早く文字に慣れ親しむことと、
語彙を増やすために、毎日かなりの時間を読み聞かせに費やすようにしました。
また、聞かれたことはタイムリーに答えるように努めました。
お子さんが学校で困ったことがあったとき、どう対応しましたか?
頭部への衝撃で聴力が低下する可能性があるため、運動制限などをし、ヘルメットを着用させました。
そのため保護者会では説明をし周知してもらうようにしました。
進学先はどのような視点で決めましたか?
頭部への衝撃の心配があるため、
少人数の普通学級の小学校へ越境入学させました。そのため、毎日車で送迎となりましたが、
1クラスしかなかったので、クラスメイトの皆から病気を理解してもらえました。
学校に何かサポートをお願いしましたか?また、「こうすれば良かった」と思うアドバイスがあれば教えてください。
学校へは、休み時間や体育の時間はヘルメットの着用と、運動会などの団体競技は全て辞退させていただ来ました。
また、小、中、高校の役員を全学年やり続けました。
それにより先生とのコミニケーションを図り
学校の様子が分かるように努めました。
医療面で「これを知っておけば良かった」と思うことがあれば教えてください。
これは特にありません。良いと思うことは全てトライしたように思います。